日本時間だと2024-5-7の深夜に公開されたAppleの新しいイベント映像は、iPadの新しいラインナップだった。その中で、既存の様々なものがぺちゃんこに潰され、そこには新しいそして薄っぺらいiPad Proが残っているという映像が流された。これに嫌悪感を感じる人も日本人には多いようであるが、まあ、それもAppleの計算のうちだったのでしょう。この映像は、単に「ぺちゃんこにして詰め込んだ」ということを言いたいのではないと思う。この映像から受け取れるメッセージは、「新しいものの創造には、スクラップ&ビルドが必要」ということではないだろうか。もちろん、嬉々として、あるいは楽しんでスクラップするということもあるのだろうけど、心苦しくもスクラップしないといけないということも創造にはつきものだと思われる。なんでもそうだと思われるが、進歩には何かしら過去の成果を凌駕することから生まれる。他人の成果はもちろんだが、自分の過去の成果を否定して進まなければならないときもあるものだ。ノスタルジーやあるいはなんらかの感情でそれをやめた瞬間、創造物は劣化する。痛みを感じても前に進まないといけないのである。それを「わかりやすい映像」でAppleは示したのである。
ところで、今回のAppleのイベントは、確かにiPadのテレビショッピング的ではあったのだが、前述のぺちゃんこにされるいろんな機材の中に、「実はMacもありまして…」というオチがあるのじゃないかとふと思った。多分、アップライトピアノがあったように思うが、その後ろにこっそりと、iMacがあって、iMacも破壊したのじゃないかと想像してしまう。M4はiPad向けではあるものの、Macシリーズより進んだプロセッサの登場がある意味象徴的だ。「今後Macは無くなる」と散々言われて来ているものの、iPadの進化がついにそれを現実のものにするのではないかと思ってしまう。つまりはMacのスクラップだ。そして、Macは一部の用途にだけ残るのか、あるいはすっかりなくなってしまうのかはわからないけども、ともかく現状はソフトウエア開発環境以外はほぼiPadで代替できてしまうというのが多くの皆さんのMacの使い方になってしまって来ていないだろうか? Appleとしては「準備はもうできている」と認識しているだろう。プレス機でのインパクトのある映像は、「そのうちMacもスクラップするよー」というメッセージに聞こえてしまうのである。