PragPubの最新号(Oct 2013)を読んでいたら最後のページに訃報が掲載されていた。Wayne Green、1975年にBytes誌を創刊、いっしょにビジネスをしていた元妻と即トラブって後々の同誌の栄光時代はともに歩んでいないとはいえ、PragPubはMr.Greenの最大の功績としてByteの創刊を挙げている。日本だと、私と同世代を中心に「日経バイト」の読者も多いだろうし、その隣の編集部で私は何年か過ごしただけに関係者とも今でもFacebookでつながっている。日本で発行する遥か前に関わった人ではあるけど、こうして雑誌で紹介されるのは、Byte誌の存在感はすでに廃刊している今も大きいということだ。
日本で日経バイトが発行されたのは80年代、私は高校→大学→就職→転職とめまぐるしい10年だったが、コンピュータ雑誌は情報を得る最も先端的な手段だと皆が思っていた。研究室では当然ながら誰かが買って来た1冊を回し読みをする。みんなお金がないので、特定の雑誌を買っている研究室にわざわざ読みにも行く。そんな研究室で、日経バイト購買担当は自分だった。「日経バイト」を読んでいたら、コンピュータに疎い同級生が「いいの載っているか?」と聞いてくる(そのバイトやない…)。「すごいよー」と言って見せると、ひー!と言いやがった。その日経バイトの翻訳記事でMacintoshはよく掲載されていた。毎日自分が見ているコンピュータのあまりの違いにショックであり、すごく高価だけどアメリカではこんな先を走っているのかと印象付けられた。そして現在がある。
出版や雑誌の存在感が大きな時代は、もはやなつかしいものになった。そんな時代に短いながらも出版社で雑誌を作る仕事ができたことは、得難い経験になった。自分のキャリアのベースはそこにある。雑誌は特にチームプレイであり、「映画を作るような熱狂」(映画を作った事はないので想像だけど)を年がら年中やっていたような高揚感があったことを思い出す。時代は移り、インターネットの発展でメディアの立ち位置は大きく変わったが、Byte誌という言葉を聞くとなんだかワクワク感が戻ってくると同時に、はるか昔のさまざまなことを思い出させてくれる。Mr.Green、享年91歳。